ゼーガペインについての雑感  キョウ成長編

ゼーガペイン FILE.02 [DVD]

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ゼーガペインの文章を書くにあたり、2クールの、しかも放送中のアニメだということを考慮し、「キョウ覚醒編」「キョウ成長編」「カミナギ編」「それ以降」の4つに分けて書いていこうと思う。なお、この4つの分け方は私が勝手に書きやすいように分けたものなので気にしないでほしい。





今回はゼーガペイン雑感の2回目「キョウ成長編」。話数に直すと、7話「迷える魂」から9話「ウエットダメージ」のあたりまで。
大雑把に解説すると、主人公のソゴル・キョウが自分のおかれた状況(自分が真実だと思っていた世界は実は虚構で、本当の世界は既に人間が死滅していた)をようやく飲み込み始め、だんだんとセレブラントとして成長していく、といったところだろうか。
この頃から、初期の伏線の回収もあってか毎回の熱い展開に毎週木曜日が楽しみになってきたような気がする。


今回の「キョウ成長編」は話数にして3話。話数も少ないので今回は1話ずつ解説・批評してみようと思う。



7話「迷える魂」


ここから中盤を熱くするキャラクター、クリスとアークが登場する。7話では目立った活躍はないものの、アークの右目が実体化できていない(既にひどいドライダメージを負っている)ことが、今作品でも1,2を争う見せ場の伏線となっているが、これに関してはまた後で。
一方、キョウが暮らす舞浜では、キョウとカミナギの水族館デートが並行して進んでいた。キョウも世界の有様を受け止めたとはいえ、自分は一体何なのか、幽霊なのかデータなのか、幻体とは、生きているとは何ぞという疑問にぶち当たっている中でのデートなので、デートを楽しむどころではない状態。
カミナギがキョウの異変に気づき、また自分がキョウのために何もできないという無力感に押しつぶされた形でデートは終了。典型的なバットエンドである。
最後のキョウの一言「ありえねー」は、作品を通して多用されている。世界が滅びたという事実に対して、いきなりロボットに乗せられる事に対して、幻体という存在に対して・・・様々な場面で使われてきた単語だが、今回の「ありえねー、俺・・・」というのは、一人の人間(?)として、男としての「ありえねー」なのが面白い。



8話「水の向こう側」

生きている実感がほしいというキョウに対し、受け入れることをサポートするクリスとアーク。そのラブラブぶりにあてられて出たセリフが「お前らはポンヌフの恋人か!」だった。カミナギの影響なのか、やたらと映画に詳しいようである。「ポンヌフの恋人」のリンクをたどってもらえればわかるが、この映画は不治の眼病に冒された青年の話だそうだ。これがアークの右目と関係している・・・まで考えるのは深読みだろうか?
今回のメインは、メイウーとコンビを組んで舞浜サーバーに行く場面だろう。
4話「上海サーバー」で、故郷を失ったメイウー・メイイェンにキョウが言い放った軽口に対して、メイウーの反撃ともとれるいじめが見所。この場面でも、戦友としてのキョウ(前バージョンの)に、冷たさの中にも早く成長してほしいというやさしい思いが見え隠れしている。作中を通してのメイウー最大の見せ場になりそうでかわいそうな気もするが・・・それはまた別のお話。
敵を目前に逃げ出してしまったキョウを戦いに戻る後押しをしたのはやはりカミナギ。ハヤセとトミガイが気づかせる役に回ったのも今後の伏線なのだろうか?



9話「ウェットダメージ」

「幻体の記憶、思考データに受けた損傷のこと。ドライダメージに比較すると復元が非常に難しく、ウェットダメージは致命傷になることが多い。」というのが公式サイトから引っ張ってきたタイトルの解説。
このタイトルをキョウが以前受けたダメージか、アークのこれからのことを見据えてつけたのか。答えは出ないが、アークをメインに据え、その裏で冒頭のテストのシーンでキョウが記憶に大きなダメージを負ったということを暗に表現しているという形だろう。
幻体だから不死身、と思っていたキョウ。実は一度死んでいる(修復された)という事実に戸惑いながら自分なりの答えを探していくのはまさに人間ドラマの王道だろう。
戦闘シーンは相変わらず私の琴線には触れないのだが、終盤の戦闘シーンでの「ボーナスステージ!!」のセリフには燃えた。
戦闘中にシズノに以前のバージョンの自分の事を聞くキョウ。今の自分と正反対の答えに対してのキョウの「そんな俺はいらねぇ!」というセリフに、キョウの前向きさがうかがえる。この頃からキョウの心理が安定してくる感じがして、見ていてハラハラしなくなったのはよかったと思う。




この「成長編」の頃のキョウは、「自分は何者なのか?」や「生きているとは何か?」など、哲学的な思索にふけるシーンが多いが、その哲学的なシーンや、「そこでデカルトはベタすぎる!」などセリフで、キョウはただの熱血バカではないということを思わされた。
この哲学的な考えは序盤〜中盤にかけて視聴者が世界観を理解するにあたっての重要な鍵となっているので、製作サイドがキョウに説明(代弁)させたのだろうか?まぁ、いずれにせよキョウというキャラクターに深みが生まれていった時期でもあるのでよかったのだろう。




次回の「カミナギ編」は、10話「また、夏が来る」から17話「復元されし者」あたりまで。個人的に一番好きな11話「残るまぼろし」が入っているので熱く語れそうだ。
8話分もあると今回のように1話ずつ書くのはムリかもしれないが、それでも熱く語っていこうと思うので乞うご期待!!



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