TVドラマ「電車男」にみるマスコミの偏見とオタクの自意識について

電車男

電車男


再放送されている電車男を見た。ひどすぎる。


なにがひどいかというと、オタクがキモいのだ。あまりにも。


私はオタクだ。それも結構重度の。そんな私から見ても、電車男やその取り巻きたちがキモいのだ。ありえない。




一般に「オタク」という言葉はあまりよい印象をもたれない。汎用性のある言葉のはずなのに、マイナスイメージを持つジャンルにしか使われなくなったのだ。(国府田マリ子と声優グランプリとアニメージュ参照)

何故か?



もともとオタクという言葉が一般的に使われるようになったのは宅八郎がメディアに出始めた頃だろう。宮崎勤事件があった1990年辺りである。ヤツのテレビの映り具合がもうちょっと考えられたものであればオタクのイメージも変わっていたであろう。「オタク」という言葉は第一歩でつまづいている。当時小学生だった私は、オタクのオの字も知らずに生活していた。



私が中学3年のころ、私の周りで「オタク」という言葉が使われるようになった。原因は「ときめきメモリアル」の出現である(PS版発売が1995年)。同年10月に「新世紀エヴァンゲリオン」がTV放送され、「エヴァ」と「ときメモ」というアニメとゲームの話題作が大きくメディアで取りあげられた。当時は「ズームイン朝」などでも特集が組まれていたが、どれも好意的なものではなかったと記憶している。このあたりから偏見は始まったのではないだろうか。



この偏見がオタクという言葉の通念をを捻じ曲げていった。*1
いつしか「オタク」は表面上の特徴などのことをさすようになったり*2、「オタクはキモい」「オタクは挙動不審」などの更なるマイナスイメージをもたれるようになったのだ。



現在では、趣味の多様化や、オタク正当化の流れも加勢し、オタクのイメージも少しずつ良くなってきているが、そのきっかけの一つが「電車男」だというのはなんとも皮肉な話だ。「オタク」という言葉に代わるものとして「アキバ系」や「A BOY」などという言葉もあるそうだが、正直「A BOY」は聞いたことが無い。メディアに踊らされているに過ぎない。






ここで本題に戻ろう。電車男のドラマの話だ。


最初にTVに映った電車男は、まさに宅八郎のイメージをそのまま引きずったような格好であった。
紙袋一杯の同人誌やフィギュア、ヨレヨレのシャツをケミカルウォッシュにタックイン。そしてバンダナ。図鑑に載るタイプのオタクだったのだ。

ドラマに出てくる電車男こと山田青年は、エルメスたんとつりあう男性になるべく脱ヲタを図るが失敗。覚悟を決めて自分のオタク趣味を明かしてハッピーエンドへ。


これは原作にあったようで無い流れである。原作(というか、電車スレ)では、エルメスたんとのデートの前に、しっかりとケロロ軍曹プリキュアを見ていたはずだ。外見こそ脱オタしたが、内面までは本気で脱オタしようとしていなかったはずだ。


私はそこにマスコミの臭いを感じたのだ。「オタクはこうするべき」のような誘導の臭いを。
「お前らオタクいつまでやってんの?そろそろ現実に目を向けろよ」という偏見のようなものが隠されているように思えてならない。


冗談ではない。こっちは好きでやっているのだ。お前らのような金の亡者にどうこう言われる筋合いはない。
オタクを必要以上に美化するな。2chを必要以上に美化するな。






「自分は○○が好きだ」という誇りがある限り、オタクはいなくならない。その誇りや自意識を揺るがし、現実世界での仮想恋愛に誘導する釣り餌が、TVドラマ「電車男」なのだ。



この文章を「ただのオタクの被害妄想」と思わないで欲しい。
逆に考えれば、電車男パンピーのオタク入門書の様な物なのだ。細々と暮らしていた村に、拳銃を持った外国人が大挙して押し寄せるようなことになりかねない。




どうか、我々をそっとしておいて欲しい。あまり騒ぐな。五月蝿くて仕方ない。アニメの声優聞き分けが出来ないじゃないか。




参考
http://www.paradisearmy.com/PASOK6N.HTM
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%aa%a5%bf%a5%af



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*1:一般的に使われる上での「オタク」の意。「漫画ぶりっこ」から来た〜〜などは関係ない。

*2:オタクの対義語はイケメンだそうだ。怖い世の中だ。