国府田マリ子と声優グランプリとアニメージュ

いろいろなところで議論が交わされているオタク論ですが、今日は私も首を突っ込んでみようかと思います。


今日、仕事中にラジオでオタク論っぽい話を聞きました。パーソナリティの高校時代の友人がオタクだったという話。その友人は学校に声優グランプリアニメージュを定期的に持ってきてはマリ姉の布教活動にいそしんでいたようです。また、一緒に遊んでいるときも突然ポケットラジオを取り出し、「マリ姉のラジオ始まるから」ということでラジオに没頭してしまうような感じの方だったようです。
国府田さん全盛期かぁ・・・懐かしいなぁなんて思っていたんですが、そこでパーソナリティが大変な一言を吐きました。「他にやることないんですかねぇ」と。
確かに他にやるべきことは一杯ある。高校生ならオシャレに気を使うもよし、音楽に没頭するもよし、部活にのめりこむもよし。アニメや声優にのめりこむことは何故否定されがちなんでしょうか?
アニメが好きな人は「アニメオタク」。ゲームが好きな人は「ゲームオタク」。オシャレ好きな人は「オシャレオタク」。あれ?なんか違和感がありますね。
「オタク」という言葉が「〜〜がのめり込むほど好きな人。」という意味なら「オシャレオタク」という言葉に違和感を感じないはずです。何故でしょう。
答えは「言葉の意味」よりも「認知度」でしょうね。音楽で例えれば、ロックはメジャー、アシッドテクノはマイナー。ポップスはメジャー、HI−NRGはマイナーとか。少数派に属する人がオタクと言われる傾向にあるようです。
オシャレは認知度(高)。アニメは認知度(低)。だから「アニメオタク」なんですね。


「他にやることないんですかね」に対しての答えは二つ。「他のやるべき事よりもアニメを選んだ」と「他にやるべきことが見出せなかった」でしょう。
前者の場合、プライドがやけに高いオタクになる傾向がありますね。「これだからパンピーは・・・」や「アニメを卑下するヤツは視野が狭い」などという言葉を使うような人は、自ら選択してオタクになった人でしょう。
後者の場合、アニメしか見えずに突っ走ってきた濃いオタクになる傾向が強いですね。特に周りを気にすることもなく、幸せな日々を過ごすことでしょう。ですが、年齢層が上がるにつれてこういったオタクは減るようです。それはイヤでも周りを気にせざるをえなくなるから。就職や大学進学がきっかけになるケースが多いようですね。
どちらにも共通して言えることは、かの名言「オタクはなろうと思ってなるんじゃなくてさ、も 気がついたらなってるんだって。」ということですね。誰も好んで周りから後ろ指刺されるような種族になった覚えはないはず。でもなっちゃったものは仕方ないよね。胸を張っていきましょ。


冒頭の話に戻りますが、学校に声優グランプリアニメージュ持参とはなかなかの強者。でも、そんなことしてもドッ引きにならないおおらかさ、というか、認知度があまりにも低すぎたため反応がないような時代ってあったなぁ、としみじみ思いました。
私が高校生の頃、ポータブルCDに入っていた「ときめきメモリアルヴォーカルコレクション」が見つかったときはクラス中が「ざわ・・・ざわ・・・」になったなぁ。懐かしい思い出ですよ・・・orz

編集後記

この記事に何か思うところがあれば、「私の考える「こうはなりたくない」オタク度チェック」もあわせてどうぞ。
極上生徒会・・・やっぱり買わなきゃダメかなぁ・・・。地雷処理は私の仕事、というのは重々承知なんですが・・・なんだか処理できずに爆発させてしまいそうで怖い。


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